ガーラ社長日記

これを書いているのは、2024年4月30日の自宅の夜です。本当は、日中に更新担当の彼女に送らなければいけなかったのですが、今日はお客様の撮影があり夕方までかかったので、今書いています。ぜったいに遅れないぞ。

さて、4月はガーラ恒例の花見を千秋公園で7時間にわたり催し、さらにガーラのSNSをご覧になられた新聞記者の方が「なぜ毎年花見をするのか」をテーマにした取材をしたいとわざわざいらしてくれました。ガーラに取材にいらしてくださって、本当に感謝しています。いつもいろいろと記事にしてくださり、光栄に思います。

実は、会社を設立当初、まだブログやSNSがない時代に当時のガーラのホームページで「だめ社長日記」というものをhtml版で、不定期にアップしていました。その中で、自分で言うのはなんですが、一番人気だった愚文をご披露申し上げたいと思います。けして書くテーマがなく、お茶を濁しているわけではありません。(けして!)

テーマは「パチンコ」。平成11年10月15日に公開しているので、前職を退職してガーラを起こして、間もなくの頃に書いたものです。「不適切にもほどがありすぎる」内容ですが、そんな時代の話です。


(以下、当時のだめ社長日記です〜1999年のだめ社長日記より~)

あいもかわらぬ愚文をお許し頂きたい。以下。

先日、パチンコに時間つぶしで久しぶりに行った。

今年3月に会社を退社し、会社設立までの間、長いサラリーマン生活の疲れをリフレッシュしようと、しばらくパチンコ屋に通った。(おいおい、なんでリフレッシュがパチンコなんだよ~)

そのうち、「天野さん、会社リストラされて、毎日パチンコ屋にいりびたってるようだ。」という噂が流れていると聞き、ぱったり行かなくなってしまったが、数カ月ぶりでおじゃました。
重ねて申し上げるが、時間つぶしだった。ほんと。いやまじで。はい。

またリストラされたのではなく、会社が希望退職を募ったので、「その退職金で会社を起こせる。」
と判断したのだが、ま、今となってはどちらでも関係ない。

そのパチンコ屋だが、今は無くなってしまった新国道のダイハツさんの真向かいにあった「三和会館」というパチンコやさんをふと思い出す。

今のパチンコ屋のような、最敬礼のご挨拶みたいなものは無かったが、非常にアットホームな雰囲気で、俺にとってはパチンコ屋のイメージでは、今でも三和会館がとびきりだ。

18才から通い、6年間の大学時代の大半をそこで過ごさせていただいた。
当然、店員さんともなじみになるわけであり、景品交換所のおばちゃんたちからは「また、学校さぼってきたね。学校いっといで!」
と、おふくろのように言われる始末。あげくに「今日は全部授業じゃなかったっけ?」
と、人の履修科目の時間割まで知っている様子。

また、店員さんのひとりに「田中」さんという方がいて、この人がローリングストーンズの大ファン。
「協同社大町ビルの田中屋でストーンズのフィルムコンサートがあるみたいっすよ。」
と教えてあげると、すぐに見に行って「いやあ、天野君良かったよ~。これ教えてくれたお礼・・・」
とか言って、当時おれが吸っていたセブンスターを5箱も買ってくれた。
(負け続けたときは、「エコー」を吸っていた貧乏学生にとって、真っ白なブンタ5ヶは、まさに宝物だったのである。)

暇なときには、おれの台に来て「最近のロックはさあ~」とかロック談義に花を咲かせたりした。田中さん、お元気かなあ。
(もし、このブログをご覧になったりしたら、絶対にご連絡を・・・・!!)

俺は、あの懐かしい「パラレール」という【一発台】専門だった。
ご存じない方のために、【一発台】とは、天アナの真下、あるいはとても入りそうにないポイント穴に球が入ると、打ち止めまでいってしまう台だ。
数千円から数万円を通常つぎ込むが、大逆転があり得る台だ。
ギャンブル性が高いという事で、今は廃止となってしまった。

当時、一発台の島は 、ちょっと危ない系の人が多く、髪が背中まで長い、汚い格好をした俺も十分その島の住人になりえていたと思う。

【たておかさん】と呼ばれる、ま、誰がどう見てもその筋の方だったが、ポイント穴に入らないと決まって、俺の所に来て「ようちゃん、(何故か彼は俺の名前を知っていた)玉へでけれ~。頼む。」と寄ってくる。

台別の癖を知っていた俺は、入れるような打ち方を、実際にしてあげたのだが「入らないと、ぶん殴られるんではなかろうか?」といつもびびりながら打ってあげたものである。
実際には、気さくな優しい人だったが。
よく「親父いますか?」とこれまたスーツ姿のかっこいいその筋の方が探しにきていたものである。
(※ 2024年4月30日追記)

あと、相当つっこんでも出ないと、すぐに「やめなる~」を連発していた【やめなるさん】(そう呼ばれていた)や(どうも後で知ったのだが、「やめなる」とは、男鹿衆が良く使う言葉で「やってられない」「容易でない」と言うような意味らしい。-2003年6月追記)

打ってると、俺の手に小さく折った千円札をこっそり握らせて、「ようちゃん、玉売ってけれ~!」と、まるでテレビの刑事番組で、刑事がちんぴらさんから情報を仕入れる時のように、金を渡してよこしたおやっさんもいた。

また、しばらく見ないなあと思っていた親父さんが、ひょっこり現れて「どさいったった~(どこにいらしていたのか~?)」なんて聞くと「いやあ、ガンでよ。手術したのよ。」なんてさらっと言っちゃうおじさんとか。
おいおい、大丈夫かよ~なんて思ったが、そのおじさん、つい先日歩いているのを見たので、お元気で何よりでございます。

様々な人間模様があった三和会館だったが、俺にとっては居ごごちの良い空間だった。
あんなパチンコ屋、もう無いんでしょうなあ。一発台やりて~!

(以上、古いだめ社長日記でした。)

お花見の様子01

お花見の様子(昼)

お花見の様子02

お花見の様子(夜)

お花見の様子3

2024年5月2日